江副浩正(馬場 マコト 土屋 洋)

江副浩正
馬場 マコト 土屋 洋
日経BP社
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20年以上通訳として米国で仕事をしていると心に残る企業、プロジェクト、顧客との邂逅がある。リクルート社(上場前)とは3つの仕事を経験したのだが、どのプロジェクトでも若い人々が誰からの指示も仰がず黙々と仕事を「耕して」いてすっかりファンになった。この本を読んで発見したかったのは、そんな企業文化はどこから生まれるのだろうかということだった。

まず印象に残っている仕事は1990年代初頭の子育て委託業務の仕事。その仕事を進めていたのは若い女性2人だった。 彼女らが意思決定者として仕事をしているのが新鮮であると同時に驚きだった。「こんな若い女性がこんなに自由に仕事できるんだ!2人とも能力高い!」もっとも2人が意思決定者として抱えているプレッシャーの大きさも容易に想像できた。

もう一つ心に残っているのは営業教育プログラムの日本版開発の提携交渉の仕事。仕事は米国のスタートアップ社の社長との信頼関係構築から始まった。ベテランと思われる男性社員は日本から1人きりでやって来て、通訳の私をまるで昔からのアシスタントのように自然に使って行く。相手の出方を見ながら冷静に現場でぐいぐいと話を取り決めて行く。1月の週末だっただろうか。相手側社長は彼をニューハンプシャー山頂の雪に埋まった改修中の大きな屋敷に招待した。 暖房もないので室内でもずっとコートを着たまま。そこにテイクアウトのお昼とサーモスボトルに入ったコーヒーを持ち込み開け放したポーチに折りたたみの椅子を並べてキラキラと輝く雪を見ながらの会話が進んだ。今思えば2社の関係を固めた重要な瞬間であったに違いない。1人の会社員が自分を信頼に足る魅力ある個人としてビジネスをゼロから開拓できる企業があるのが信じられなかった。

さて、本書『江副浩正』の表紙には氏のモットー「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」と書かれた青いプレートがアレンジされている。江副氏が生み出し全社員の机に置いたプレートである。「そうだ、これがリクルートに受け継がれているDNAなんだ。特に『自らを変えよ』の部分が」と本書を読んだ後ストンとおちた。江副氏が自分のキャリアで体現した生き方であり方法論であり、それは社内の隅々まで行き渡っていたのだ。

ところで、私はリクルート事件が起きた時米国に いたため、この事件の甚大性を肌で感じていない。本書を読んでその影響の大きさに驚くと同時に江副氏モットーの『自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ 』が起こした事件であったと思えてならなかった。彼の考えでは未公開の株の譲渡という新しい方法の創作を実行したにすぎないのであろう。しかしそれを実行できるように「自らを変えた」時、これまでの成功の連続故に根本的な倫理的チェック機能が失われてしまったのかもしれない。

私は『江副浩正』ビジネス本としてではなく伝記として読んだのだが、氏と豊臣秀吉と印象が重なって仕方がなかった。個人としては素晴らしく有能なのに出自がよくない。しかし常に既得権も人脈もある人々に囲まれた世界の中に棲んで外部者として社会の仕組みと力関係を観察できる立場にある。まだルールができていない間隙に機会をみつけて行動して成功していく以外に居場所がない。既成の世界に立ち向かって行くから敵も多い。頂点に立った時「攻め」以外の目的をみつけることができない。既成社会の後ろ盾がないから潰される時は壊滅するまで潰される。

1615年に徳川幕府によって破壊され1897年に明治政府によって再建されるまで風雨にさらされていた豊国廟、1599年に秀吉を祀るために建てられたが大坂夏の陣以降250年間廃祀された豊国神社。京都の秀吉関連のサイトは寂しいものが多い。徳川政権は秀吉のレガシーをことごとく潰した。しかし秀吉の功績は明治政府によって再認識されただけでなく、応仁の乱で焼失した京都の復興、現在の京都の町並みとして営々と生きている。

著者二人ともが現在の閉塞感漂う日本が新たなる江副浩正を必要としていると結んでいる。

ここ2、3年の通訳業務で印象に残るのが米国起業家インキュベーターへの日本からの視察である。若い野心に満ちた起業家達の便宜を図るためのインキュベーターがボストンやケンブリッジに複数ある。視察にいらした方々の多くがインキュベーターに入居する際の競争の激しさに驚かれる。安定志向の日本にはその種の若者があまりいないらしいのだ。日本の情報に疎いのでウェブを見た上での推測にすぎないのだが、日本の若者でそのような野心を持っている人はリクルート社のような企業に職を求めて新しい活路を模索しているのではないだろうか。そんな形で江副のDNAが生き続けて欲しいと思う。